海洋散骨後、法事の代わりに…

私たちの描く海洋散骨…

私事ではありますが、
父の一周忌。今年の新盆も終わりました。

仏教では、仏様や故人は湯気や煙を食べると言いますが、
ならば私は、「声」がよい。子や孫が楽しそうにする声を
「あちらの世界」があるならば、天に向かって叫んでほしい。

お葬式では、配偶者や子供たちは、初めての事に右往左往しながら葬儀社や僧侶に従い、形ばかりの葬儀を進める。

孫は、突然の事に状況も飲み込めず、つまらぬ時間を耐えなくてはならない。

法事も同様、一般的に形骸化した仏式で行われ、ここでも皆、退屈な時間を過ごさなくてはならない。

弔事は、逝った者のため?それとも遺された者のため?なのか…
改めて考えさせられます。

私は、「遺された者のため」にあるべきだと思うのでございます。
人生は苦しむことの方が多いのですから…

つまらぬ時間を過ごすなら、笑っていて欲しい。楽しんでいて欲しい。
それが私たちの描く、葬送であり「海洋散骨」でございます。