相模湾からの風景

4月に入り、本当に沢山のお問い合わせを頂いております。
心よりお礼申し上げます。
「当日、お天気が悪くなるのは仕方ないのですが、もし富士山が見えた場合どんな景色なのでしょうか?」
というお問い合わせを頂きました。
当社が撮影した実際の写真です。以下のように、とても奇麗に大きく見る事ができます。

散骨「想」撮影。富士山

こちらも当社が撮影した実際の写真。
逗子付近の国道134号線からです。富士山の下、やや右側に江ノ島が見えます。
散骨「想」撮影。サンセット

散骨のお手伝いで初出航

ニュー・マリンロータス号の航跡です。当社をご利用して頂いたお客様、なによりも故人様のおかげでより良いサービスをご提供できることを心より感謝申し上げます。

談志さん 2月上旬長女・弓子さんがハワイで散骨

昨年11月に亡くなった落語家立川談志さん(享年75)の遺骨が今月初旬にハワイの海にまかれたことが20日、分かった。追悼公演「落語立川流In平成中村座」が東京・浅草の平成中村座で行われ、弟子の立川志らく(48)が明かした。

散骨は談志さんが生前、家族に「骨を海にまいてほしい」と伝えていた。談志さんが大好きで、家族で訪れていたハワイを長女の弓子さんが1人で訪れ、ハナウマ湾や談志さんが勝手に「ダンシビーチ」と呼んでいたお気に入りの海岸など3カ所からまいたという。

志らくは「弓子さんは(遺骨は)全部だともったいないから一部だけと言っていた」と明かし、「持って行き方を相談されたが、結局、(3カ所分を)ビニール3つに小分けにされたので、覚せい剤みたいになった」と笑わせた。また、「(弓子さんから)面白かったから今度はみんなで行こうと誘われた」と話した。

追え悼公演は、平成中村座を主宰する中村勘三郎(56)が約25年前から親交があり、企画。02年の大阪公演では談志さんが特別企画として落語会を行った縁もある。

勘三郎は志らくのほか、立川談春(45)、立川生志(48)ら4人の弟子、放送作家高田文夫氏(63)と遺影の前で行った座談会に参加。「呼んでもいないのに公演を見に来たり、“四次元だった”と褒めてくれたけど、意味が分からなかったり…。座標軸ではないけれど、この人に褒められたらうれしいというような人だった」と故人をしのんだ。・・・「Yahoo!ニュース」続きを読む

美しい散骨葬

まだまだ、散骨について偏見を持つ方も少なくないと思います。
透明度が高い外洋の海ではお別れのとき、故人様は最後に感動を与えてくれます。

雪化粧

12月11日午前8時、H家散骨式。
晴れ、波1M多少うねり有り。
烏帽子岩付近からの富士山です。この時期は空気が乾燥しているせいか、非常に近く大きく見えます。
雪化粧をしてとても奇麗です。
故人様は生前、富士山と海が好きだったようです。
無事、散骨式も終えH家の皆様は非常に喜んでおられました。

夕暮れプライベート散骨はじめました。

平塚出航、相模湾 夕暮れプライベート散骨をはじめました。
当社で撮影した画像です。朝と夕方、海辺では無風状態が起こります。これを、朝凪、夕凪といいます。
日は沈み、やがて朝日となって昇るように、人もまた生まれ変わり、「命」という太陽を輝かせると信じたいものです。

江ノ島サンセット

11/26おはよう江ノ島

午前:7:30頃。江ノ島の西側からの写真です。
T家、S家。多少波がある中での散骨式でしたが無事終えることができました。

立川談志さん死去 散骨を希望

歯に衣(きぬ)着せぬ発言でも知られた人気落語家で、元参議院議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日午後2時24分に、喉頭がんのため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。75歳だった。東京都出身。葬儀・告別式はすでに近親者によって執り行われた。昨年11月のがん再発時に親族が余命2、3カ月の宣告を受けていたという。“家元”の死を受け、弟子の立川志の輔(57)は涙を浮かべながら思い出を語った。後日、都内でお別れの会を開く・・・「Yahoo!ニュース」続きを読む

11/23烏帽子岩沖にて散骨

本日、S家散骨式
烏帽子岩沖合にて執り行われました。
富士山もうっすら。波も穏やかで天候にも恵まれました。
皆様、散骨葬に感動され烏帽子岩経由のクルージングを楽しみ写真撮影。
皆様、笑顔で故人様も喜んでおられると思います。

11月17日、相模湾の海

11月17日、A家の散骨式
当日の波は0.5m、海水の透明度も高く散骨式に適した一日でした。
江ノ島からマリーナに帰る際に撮った動画です。