散骨とは何か?

散骨は現代突然現れた葬送方法ではない

散骨とは、遺骨を埋葬せずパウダー状にして海や山などの自然にまく葬送の方法です。

海洋散骨が一般的に周知されてきたのは最近のことのように感じますが、亡くなった後の遺体を川や海にかえすという考えは、現代に突然現れた葬送方法ではありません。
「水葬」や「舟葬」という葬送は古来から世界中に存在します。(これらは文字通り、遺体を火葬しないで川や海にそのまま流す葬送法のことです。現在、日本では原則として遺体を火葬しないで川や海に流すことは法律で禁止されています。)

舟形地蔵
舟形地蔵。背中には船の形の飾りがついている。

日本でも昔は一部の地域では「水葬」が行われていたようです。
例えば島根県の出雲地方では、子供や妊婦が亡くなると石棺に遺体を納めて、宍道湖に沈めていました。

船に乗せ川や海に流す「舟葬」については、日本の一部の地域で行われていたという情報はありませんが、精霊流しは各地に習慣が残っています。また、舟型の地蔵は「舟葬」との関連性を示すものかもしれません。

日本で散骨が公に容認されたのは最近

現代日本において火葬しないで遺体を流すことは法律で原則禁止されていますが、火葬後の焼骨を粉末状にし撒く「散骨」という行為に関しては、その限りではありません。

この「散骨」について、日本政府が公な見解を示したのは最近のことです。
1990年頃から法務省、厚生労働省の散骨に対する見解が流布するようになりました。
『法務省:散骨は節度をもって行えば違法ではない(あるいは問題ない)とするもの。』
『厚生省:(現在の厚生労働省)散骨は法の想定外。』

これらの見解は「葬送の自由をすすめる会」の働きかけによるものかもしれません。
海洋散骨は1991年10月5日「葬送の自由をすすめる会」によってマスコミに発表され、相模湾で散骨が実施されました。俳優、石原裕次郎さんの散骨も、これ以降に散骨されたと思われます。

散骨を行う人の実情

散骨をされる事情は様々ですが、墓地事情に詳しい当社は、散骨事業を始めた当初、「殆どの方が金銭的理由で散骨を検討する」と予想していました。 しかし実際は経済的に墓所の購入はできるが、お墓への価値観を見出せないという方が大半でした。

そのほか、当社が実際に散骨を選択された方に聞いた理由として、以下のようなものがありました。

・故人が生前に言い残した
・故人は世界旅行が好きだった
・子供達に墓守の負担をかけたくない
・子供がいないのでお墓を作っても墓守できない
・海が好きだった
・釣りが好き
・大学時代から仲間で海に遊びに来ていた思い出の場所
・普段から海が身近にある

2003年に「千の風になって」がヒットした理由は、この散骨ニーズとつながるところがあるように感じます。(心の底で)『私のお墓の前で泣かないでください。そこに私は居ません。眠ってなんかいません。』 このフレーズに多くの人が共感したのです。
そして、法整備がされていない中でも、社会的な合意の形成がなされ、結果として海洋散骨や山林での散骨を含め自然に還るという葬法が、多くの人の選択肢として加わることとなったようです。
こういった考えは音楽だけにとどまらず、散骨をテーマに映画が製作されるなど、様々なメディアに波及しています。
散骨という「自然に還る」葬送は身近な慣習となり、やがて供養の本流を創り出すことになるのかもしれません。

散骨の短所と長所

散骨には当然、短所も長所もあります。両方を知ったうえで、選択をされるとよいでしょう。

散骨の短所

短所として、心のよりどころとなる明確な対象物がなくなってしまうこと以外に次のような事が考えられます。

親戚同士、同じ墓地にお墓を所有していることが多い地域もあります。
自分の家のお墓参りに行くと、新しいお花が供えてある。
「誰?」と様々な親戚の顔が思い浮かぶ。
そんな事を経験されている方も多いのではないでしょうか。

お墓参りは、遺族の心のよりどころとなると同時に親戚との絆を深める役割も 果たしています。そのお墓が無ければ親戚付き合いは、深まるどころか疎遠となってしまい 結果、他人化してしまう事が考えられます。

散骨の長所

都内近郊の墓所では、総額100万円以下に抑えた小さな墓所も多く販売されていますが、
一般社団法人全国優良石材店の会が行った2008年の調査によると墓地に掛ける費用の全国平均は169万8千円。
その高額な墓地購入費用の捻出が不要になり、同時に管理やメンテナンスも行わずに済むと考えられます。

昨今では転勤や海外勤務は珍しくありません。 その結果、墓守が疎かになってしまい、お墓参りに行けないことが気がかりになるのが実状です。 墓地に少しでも近い親戚にお願いしたり、お墓参り代行業者に依頼するという実際の話も耳にします。 それらの負担が軽減されます。

実際に当社の墓じまいサービスは年々需要数が増えています。
「お墓の管理が難しい」「子供に負担をかけたくない」といった理由から、墓離れは進んでいるようです。

散骨を行った著名人

散骨を選択する著名人は少なくありません。
実際に、アインシュタインや石原裕次郎、hideなど、誰もが知る著名人が散骨を選択しました。

そして、こういった著名人が「散骨」という選択をしたことが報道されることにより、「散骨」の認知度が上がり、同時に、そういった選択をする人が増加する傾向があるようです。

アルベルト・アインシュタイン

(1879~1955) 76才

ドイツ出身の理論物理学者。
相対性理論を提唱し20世紀最大の物理学者と呼ばれる。
1921年にノーベル物理学賞を受賞。
1955腹部動脈瘤破裂に死亡。
本人が生前に散骨を希望していたため遺灰は遺族によって散骨された。

マリア・カラス

(1923~1977) 53才

ギリシャ系移民としてアメリカのニューヨークで誕生。
その後ギリシャに渡り音楽を学ぶ。
「20世紀最高のソプラノ歌手」と評され多くの聴衆を魅了した。
1977年9月16日にパリの自宅で53年の生涯を閉じる。
遺灰はパリのペルー・ラシェーズ墓地に埋葬されたが生前の彼女の希望により
1979年ギリシャ沖のエーゲ海に散骨された。

ヴィヴィアン・リー

(1913~1967) 53才

インド出身の女優。最も有名な出演作は「風と共に去りぬ」(1939年)
スカーレット・オハラ役
慢性的な結核を患っており、1967年ロンドンの自宅アパートで死去。
遺灰はロンドンのティッカレジ・ミル湖に散骨された。

フレディ・マーキュリー

(1946~1991) 45才

イギリスのロックバンドQUEENのボーカル。
1973年 アルバム「戦慄の王女」でデビュー
1991年11月24日HIV感染合併症のニューモシスチス肺炎(カリニ肺炎)のため死去。
本人の遺言により遺族によって湖に散骨された。(場所は明らかにされていない。)

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(1964~1998) 33才

本名:松本秀人
日本のロックバンド「X JAPAN」のギタリスト。ミュージシャン。
1998年5月2日、自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見される。
彼の密葬には、およそ300人、築地本願寺での告別式には延べ、5万人が集まる。
遺灰は、神奈川県三浦市の三浦霊園に納骨された。
一部は、バンドメンバーやマネージャーであった弟の松本裕士氏によってロサンゼルスのサンタモニカ沖に散骨された。

石原裕次郎

(1934~1987) 52才

俳優・歌手。
兄である石原慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」の映画版でデビュー。 「狂った果実」で主演し、一躍スタートなる。
生涯に主演した映画の総本数99本。レコーディングした作品は521曲にもなる。
1981年、胸部大動脈瘤の発作を起こし、1987年7月17日、52才で死去。
兄の石原慎太郎が、「裕次郎は湘南の海が好きだったから遺骨を散骨したい。」と法務省に願い出たが、 当時はまだ許可されていなかった。
遺骨は、横浜市にある、曹洞宗総持寺の墓に埋葬されたが、1991年に法務省から「節度をもって行われる限りは問題ない」との見解が発表されその後、一部の遺骨を散骨した。

横山やすし

(1944~1996) 51才

本名:木村雄二
高知県出生、生後3ヶ月から大阪府堺市に育つ。漫才師。
西川きよしとのコンビ漫才で記録的な人気を博し、「やすきよ漫才」として20世紀を代表する漫才師。
1996年1月21日、51才の時アルコール性肝硬変で死去。
無類のボート好きで「宮島でもう一度ボートに乗りたい」と生前言っていたため、彼がかつて全日本アマチュア選手権で優勝した事のある競艇場を3周したあと競艇場と厳島神社の大鳥居の近くの二カ所に分けて散骨された。

散骨や自然葬の需要が増える社会的背景

散骨や自然葬への需要が近年増加する社会的背景としては、以下のことが想定されます。

・墓地、墓石の高額な費用の捻出が困難
・祭祀継承者問題と少子化
・環境破壊に対する意識
・社会的なお墓参りに対する意識の低下
・公営墓地の不足
・民間会社によるの利益優先の墓地乱開発から起こる霊園の経営不振

こういった社会的背景から、今後とも、散骨や自然葬への需要は増えると考えられ、「お墓に入る」選択肢ではなく「自然に還る」という選択肢が一般的になっていくのかもしれません。


散骨の知識
01. 散骨とは何か?散骨の歴史と、散骨が選択される理由
02. 散骨をめぐる法律
03. 海洋散骨葬って具体的に何をするの?知っておきたいこと
04. 業者選びのポイントと当社のメリット